自由意志

日常のささやかな出来事を少しだけ面白く表現したい

僕の10歳の頃のクソガキ時代と現代の10歳の礼儀正しさについて

時代が変われば行事も変わる。よく言われる「ハロウィンいつからこんなに盛り上がってたの?」問題は、恒例行事になってきており、そろそろこの問題は消えると想像している。そしてあと10年もすれば「昔ってハロウィンなかったらしいよ」に移り、更に10年経てば「ハロウィンって日本が発祥じゃないらしいよ」とギャルが渋谷でドヤ顔しているのが目に浮かぶ。

これはある記事で読んだものだが、大学の歴史専門の教授がある日電車に乗っている時の事だ。

 

高校生5,6人が

高校生A:昔、日本ってアメリカと戦争したらしいぜ

高校生B:えっ!!マジ??そんでどっちが勝ったの?日本?日本だよな!!?

と会話していた。
それを聞いた教授は荒れた息を整える為に、予定していなかった駅で降りた。
絶望しきった教授は日本の未来を憂えた。

 

というもの。
時代が変われば忘れ去られる事もあり、変わっていく事もある。
それが世の常だという事だ。


まーわるーまーわるーよ
時代-はまわるー

 

という事なのだ。
僕が10歳の頃はなかったイベントもある。「2分の1成人式」だ。娘が10歳の時にそのイベントを知らされた。最初耳にした時は「なんやねんそれ」としか思わなかったが、今では全国的なイベントであるらしい。このイベント必要?って意見は、経験していない僕の中に存在するものの、子供たちが楽しそうな姿を見ると「イイモンだなぁ、よし特別に認めてあげよう」と思う(何様?)。

 

 

ふむ。いかにも前置きっぽい前置きは終わった。
本題はここからだ。僕が言いたい事はここからなのだ。是非ついてきてくれ。
ブラウザバックボタンをクリックしようとした人、戻るボタンをタップしようとしたiPhoneユーザー、とにかく一刻も早く戻りたい気持ちの読者、待ちたまえ(アンドロイドワカラナイ)。
前置きで終わるのは映画の予告編だけ見て帰るようなもんだぞ。
前戯だけして本番はしない人はいないだろう。俺はしない。
だから俺は言いたい。

 

フォローミーーーーー
※ジャンヌダルク(ミラ・ジョヴォヴィッチ)

 

 

うむ。言いたい事は言った。
あ、しまった。本題を前に遊んでしまった。
これからいよいよ本題に移ろう。

 

 

僕が10歳の頃と一番変わったのは子供だと感じている。
今の子供たちは本当に礼儀正しいし、優しい。一部そうでもない子供ももちろんいるが、それでも僕が10歳の頃と比べるとかなり、かなりマシだ。

ウチにはよく子供が遊びに来るが、まず
「お邪魔します」
と言う。それだけでも僕からすると100点だが、自分の靴もきちんと揃えてから入室するのだ。更に驚くことに、僕が家に帰った時、遊びに来ていた子供が「お邪魔してます」と言い放った。
思わず僕は心配になって
「そんな言葉誰から習ったんだ君は?」
と詰問口調になってしまった。
人質でも取られて誰かに言わされているのではないか、と。


子供は大人の言う事を聞かずに自由に振舞う事が許された特権のはずだ。
その特権を放棄し、今の子供は学校に行って勉強勉強。帰ったら帰ったで宿題に追われ、唯一の遊ぶ時間でさえ礼儀正しくする事を強要される。

 

そんなの大人だって出来ないよ。俺は本当に無理だ。
そう。こないだの娘の小学校の卒業式の事だ。席に座って2時間何もしてはいけない拷問を受けさせられた(じっとしたら死んでしまう病)。死ぬかと思った(近所では僕の事を回遊魚だと言われている(泳ぐの止めたら死ぬ魚))。
子供たちの合唱や一人ひとりの卒業証書授与は感動ものだ。だからそれは大丈夫だ。我慢とも思わない。子供にとって大切な時間だ。僕が辛抱溜まらんと思うのは来賓の挨拶に付き合わされる子供と我々である。
市長代理だの市議会議員だの役所の誰々だの、わざわざ子供たちに毎回一礼を求めて長ったらしいありがたい言葉を述べる偉い人。それを姿勢正しく聞く子供たち。これには足元から崩れ落ちそうになったところを嫁に支えられ何とか耐え抜いた。


今の子供たちはこんな事にも我慢できるのか、と感動を覚えた(そこっ?)。
まず僕なら無理だ。倒れて保健室行きだろう。
「最近の子供は」という聞きなれたフレーズがあるが、今の時代は合わない。
今の子供たちは僕が10歳の頃よりも遥かに礼儀正しく忍耐強い。むしろ年配者の方がマナーも悪く我慢出来ないのを多く目にしてきた。それでも最近の子供は・・・という輩には僕が蹴り入れに行くのでご報告お待ちしています。

 

 

 

僕が10歳の頃なんて本当にクソみたいな子供だった(今もクソだというツッコミは受け付けない)。10歳に限った事ではないが、先生の言う事はもちろん聞かない。掃除しない。授業中うるさい。目の前の事しか見えておらず、礼儀や我慢なんかクソくらえ状態。常に界王拳発動中。マジで文字にするのが恥ずかしく、地元に帰ったらいつも皆に「あの時は申し訳なかった」と謝り倒すので、あまり帰りたくないくらいだ。前回のブログに続いて穴があったら入りたい。

 

僕はとにかくいたずらが好きなクソガキであった。
学校帰りには必ずピンポンダッシュしていた。後になって、あるお宅があまりにもピンポンダッシュされるのが理由で、門のピンポンをピンポン鳴らないようにしていたのを知った。申し訳ない。(実は友達の家だったが)

 

他にもある。
友達の団地で遊んでいた時のこと。5階の部屋に投函されている新聞を3階の部屋に投函するという愉快犯は僕だ。意味なんかない。今となってはただただ謝罪したいのみである。

 

押しボタン式の横断歩道。渡った後にボタンを押すという愚行も犯していた。渡ってからボタンを押し、無人の横断歩道で車は赤信号で待つという人生で最も無意味な時間を大量に製造していた。本当に申し訳ない。あの頃はボタンが押したくてたまらなかったのだ。押せるボタンは全て押したい。エレベーターのボタンも全て押した。誰も乗らない、誰も降りないのに全ての階で止まり扉が開く。聞こえるため息。止めない僕。
あぁ、書いてて嫌になってきた。
学校の消火栓のボタンも押した。ジリリリリリ!!響き渡る校舎。鳴り響くベル。
「俺じゃない!なんか、勝手に・・・」と謎の言い訳する俺。激怒する先生。

いたずら電話なんて毎日やっていた。
特にフリーダイヤルは料金がかからないという事もあり、格好の遊び相手だった(変な知識だけはあった)。
いつもの様に電話をかけると「またお前か!!」と言われた。ついに声を覚えらる程成長したのか、と変態的な達成感に身を震わせたものだ。

 

授業中ももちろんうるさい。あまりにうるさくて席替えのタイミングで僕の席だけ教壇の横になってしまった。先生、本当に申し訳ない。今後はうるさくしないので許して下さい。

 

もういいだろうか・・・。心が痛くなってきた。大変申し訳ございませんでした。
皆さん、どうか許してください。本当はもっとあるんですが、PTSDになりそうなので勘弁して下さい。

 

 

それはそうと、僕が10歳の頃はこんな子供で溢れていた(自分は棚に上げておく)。いたずらで済めばまだよくて、法を犯す者もいた。それがどうだろう。今の子たちは礼儀正しく迷惑もかけない。いたずらもしない。自分のやりたい事を出来ているのか心配になる程だ。もっと迷惑かけて怒られて、大きな大人になって欲しい(自分以外の様な)。大人の言う事ばかり聞いてる様で可哀想に思ってしまうのは僕だけだろうか。

 

 

先生たちは僕を不安にするけど
それほど大切な言葉はなかった

 

誰の事も恨んじゃいないよ
ただ大人たちに褒められるような馬鹿にはなりたくない

(少年の詩/The Blue Hearts)

 

今の時代には合わないだろうが、こんなロックな気持ちも少しは必要なんじゃないか、と大きなお世話ながら感じる今日この頃。