自由意志

日常のささやかな出来事を少しだけ面白く表現したい

人を表面だけで判断しない事が大事だと思うのであります

とても善い人がいる。

とても悪い人がいる。

 

 

 

この善悪って実は結構難しいと思っていて、「本当にそれ悪い人って言えるの?」と感じる事がよくあります。逆も然り。
人付き合いってよほど仲が良くない限りは表面上の付き合いになってしまいがちで、実際どう思ってるのかなんてわかりませんよね。だからこそ話と行動が一致してない時に「???」が並ぶのです。

 

 

以前、長女が友達の家にお泊りする事になりました。長女と仲がよく、とても良い子でした。お友達の親も長女を気に入ってくれて「娘ちゃんは本当に良い子ですね!是非ウチに泊まっていって下さい!」とお願いまでされました。僕としても全然OKでしたし、よろしくお願いしますと快く送り出しました。それからウチに泊まったり、向こうに泊まったりするようになりました。まぁよくある話です。
向こうの両親もとても感じの良い方で、長女をとても世話してくれて頭が下がりっぱなしでした。ここまではよかった。

 

ただ、交流が進むにつれ「ん?」と思う事が増えていきました。
休日のある日、お友達の母親が

「ウチの子が長女(俺の娘)と遊びたいって聞かないもんですから、貸して頂けませんか?」

ときた。まぁそれは全然よい。「貸して」の一言にピクッとなったが、言い方の問題で他意は無いだろうとスルーした。
そして娘を「貸して」帰ってきた時、何やら色々買ってもらっていた。
ポーチやら文具やら、おそらく何千円かしただろう。迷惑かけてはいけないので金は持たせていたが、友達の母親が払ってくれたそうだった。娘に尋ねると、自分で払うと言ったけど、聞いてくれなかったそうだ。
それについては嫁の方から電話してお金は払うからと伝えたが、これは気持ちだからと受け取ってもらえなかった。

ん~なんだかな~・・・

 

と思い始めた。遊びに連れて行ってくれるのはありがたいけども、お金を使うのはどうなのかと。

それからも週末通いは続き、それがエスカレートしていった。(ウチは遊びに金をかけないので、子供たちは向こうの家族で遊びたがった)
公園とかモールに連れて行ってくれてると思っていたが、どうやら動物園や遊園地等、お金がかかる場所へ連れて行っていたようだ。後で知った事なので、遅ればせながら謝罪して金は払うと強めに出るが受け取ってくれない。

更には向こうの母親から「娘ちゃんのお母さんにはお金使ってる事は黙っててね」と娘にウソを強要していたのだ!!その事を初めて知り、怒りの感情が湧いてきた。お金は払うからこっちの好きにさせろ、とでも思っているんだろうか・・・。それとも貧乏な我が家を気遣っているのか・・・(貧乏は当たってるけど)。

 

更に怒りがマックスに達したのは
「あ、俺鎖骨骨折してるから」
発言を娘から聞いた時だ。

 

その時は連休か何かのタイミングで東海地方でも指折りの巨大テーマパークに行くと言っていた(そのお金も受け取ってはくれなかったが)。
もちろん超渋滞、駐車場満車。そんな中、長女の乗った車は警備員と話しながらスイスイ迂回し、目的地に到着。身障者用の駐車スペースに駐車した。

 

警備員:すみません、ここは身障者用のスペースなので、健常者は・・・

父親:あ、俺鎖骨骨折してるから。

 

と鎖骨に手を当てて警備員に説明。そのままテーマパークに入場したらしい。
父親が父親なら母親も母親だ。

「もう、この人はいつも嘘ばっかりついてww」

と笑いながら入場したらしい。
お読み頂いている方も分かってるとは思うけど、もちろん骨折などしていない。

 

怒り心頭に発するとは正にこの事。
人の子供を連れ回して目の前で大人が堂々と嘘をつき、挙句子供に「お金は貰ってないって言って」と嘘をつかせるなんて、どういう了見だ!!自分だけ良ければいいと思っている人間は大嫌いだ!!
困ってる人は助けなさい。 これは子供に口うるさく言っている。
今回の件は娘が悪いわけではないと思うが気になったから聞いてみた。

 

俺:もし身障者用駐車スペースが満車で車椅子の人が来場したら、そこに駐車出来ないよね?そしたら車椅子の人は凄く遠くから来ることになるるけど、娘はそれをどう思う?

 

娘:ダメだと思う。でも怖くて言えなかった。〇〇ちゃんも「ウチのお父さん私には嘘をつくなっていうクセにこうゆう時は嘘つく」って言って怒ってた。

 

それを聞いて少し安心した。子供は子供で分かっているものなのだと。

我が家ではよその家でご飯食べたとか、何か貰ったら絶対に報告するように言っているのに、それをさせない大人。よその子にウソをつかせる大人。更に身障者用の駐車スペースに停める思慮の浅さに腹が立ちすぎて、もうその親の元へは二度と娘を送らないと決めた。

 

その後、偶然(?)に向こうの娘に仲が良い友達が出来たらしく、その子にまた同じような事をしていると耳にした。結局、ウチの娘とは遊ばなくなった。あの時の「貸して」発言は言葉通りの意味だったと後で分かった。

 

 こちらの両親は表面的にはとても善い夫婦だ。愛想も良く、笑顔で人と接するので評判も良い。でも俺はこの夫婦がハッキリ言って嫌いだ。
この事からも善い人(と言われてる人)が「善い人」とは限らないと思っている(悪い人ではないかもしれないが、少なくとも善い人ではないはず)。

 

 

 

一方で近所の人から嫌われまくっているオヤジがいる。
そのオヤジはゴミ収集所の番人みたいな人で、燃えるゴミの日の朝はいつも見張っている(完全なボランティア)。理由はみんなが適当にゴミを出すからカラスに荒らされてしまうから。
僕がそのゴミ収集所にゴミを持って行った時も「そんな置き方したらカラスが食べにくるやろがっ!!」と怒鳴られた。僕だけじゃなく、みんな怒鳴られている。
だから近所の人からめちゃくちゃ嫌われてるし避けられてる。
でもですね、その人が管理してる収集所はいつもめっちゃキレイなんですよ。他の場所の収集所はカラスに荒らされたり、燃えないゴミとかが入ってて収集されてなかったり。この嫌われ者のオヤジのおかげでその周辺の住人はカラスによる被害を受けていない。

カラスに荒らされるとゴミが散乱して車が通れない程になるんですよ。それが少なくともこの近所では起きていないという事はその人のおかげ以外の何物でもない。そこについては僕は感謝しているし、何か恩恵を受けるわけでもないのによくやるなーと感服する。でもそこのオヤジは嫌われているし「悪い人」扱いを受けている。

 

暴言吐くし態度も横柄。ゴミ出す人を威嚇する。だから嫌われるけどもやっている事は公共性ある善い事だと思う(もう少し人当りを柔らかくすればいいのにとは思うが)。表面上悪い人(嫌われてる)だけども、やってる事は凄く善い事。

 

実は僕自身も表面上とても素行の悪い人をそのまま受け取って反省した過去がある。
だからこそ、きちんとその人の本質を見る事が大事だと考えている。特に悪い人(嫌われてる人)は人に避けられる、ウザがられる程の事なのか、を考える事がとても大事だ。よく言われる「人を見かけ(表面)で判断しない」器の広い人間になりたい。

 

 

終わり!!