自由意志

日常のささやかな出来事を少しだけ面白く表現したい

ぎっくり腰になった

1週間前に産まれて初めて「ぎっくり腰」になった。
ぎっくり腰って中腰で重い物を持った時に「ピキッ」ってなってそのまま動けなくなるもんだとステレオタイプにそう思っていたんだけど、僕の場合はそうではなかった。

 

コロナウイルスのせいで体育館の使用許可が下りず、僕の大好きなバスケができなくなって8か月。その間全く運動しないメタボリックな人間がそのままバスケの大会に出たのが大きな原因である。

試合終了ラスト2秒くらいの時にフリーの味方にロングパスを出した瞬間!
「ピキッ」ではなく、「ぐにゅ~ん」と腰の筋か何かが伸びる違和感。
その時は運動不足が祟った程度にしか思っておらず、実際痛みもそこそこあったが動けない程ではなかった(ちなみにロングパスは相手に普通にパスカットされた)。
しかし時間の経過と共に痛みがどんどん強くなっていき、家に着いた時にはほとんど動けなくなった。いや、違う。全く動けなくなった。
ソファで横になったが最後。大袈裟ではなく本当に起き上がれなくなった。
痛みに耐えながら身体を5cmずつずらし、ずりずり、少しずつ少しずつソファから体を滑らせて落としていった。
ソファから身体を落とすだけで30分。
こんな真夜中に一人で痛みと格闘しながら呻き声をあげながら・・・。
「じっとしとけよ」という声が聞こえそうだが僕はオシッコが漏れそうだったのだ。
尿意と腰の痛みに耐えながら這いつくばってほふく前進しながらトイレに向かい、便器に肘をかけ、上半身だけを使ってやっとの事で様式のトイレに座る事が出来、オシッコ出来た。
あぁ、なんだこれは。この不便さは。令和だぜ。
自慢じゃないけど、我が家は今家事や労力の自動化、省力化を進めている。
お掃除はロボットに任せ、食器洗いはマシンに任せ、「アレクサ」と呼ぶと音楽、ニュース、ゴミ出しの日まで教えてくれる。
今週の日曜日には洗濯物のガス乾燥機が導入される。
これにより洗濯物を干す、取り入れる作業から解放される事となる。
ホットクックだってフードプロセッサーだってある。
最小の労力で最高のパフォーマンスが得られる様な生活を目指し、日々邁進しているのにも関わらず!!
腰が痛くなった程度で全て台無しだ!!!
仕事も1週間休んだ。家事も子供の世話(主に遊ぶ)も何もかも出来なくなった。
導入した省力化製品達も何も使えない、だって僕が動けないから。
アレクサで音楽を聴く気にもならない、だってメンタルやられてるから。

平時に快適ライフを支えてくれるマシン達は非常時には全く役にたたないのだと分かった。
病院からもらった「とこちゃんベルト」1つの方が幸せを感じた。
とこちゃんベルトがなければ僕はこのぎっくり腰を乗り越えられなかったかもしれない。
という事で、僕から皆様にお伝えしたい事は2つ。

 

一つ、日頃から運動bはしておくべし

一つ、非常時には最先端技術よりもとこちゃんベルトが有能

 

この2つは是非抑えておいて欲しい。
ここで一つ短歌を詠ませて頂き候。

 

嫁さんが

トイレへ這う僕

遭遇し

「芋虫みたい」

と言われたよ

 

 

以上!

低学歴で貧乏な親に育てられた子供は本当に成績は悪いのか問題

子供の塾代が高い・・・。今年から中学に入るので塾に通わせようとしているが、いきなり「待った」がかかった。(ウチの家計から)
塾の先生達に怒られるかもしれないけど、言わせて下さい。
勝手に月謝8,000円くらいだと思ってました。
そもそも相場を全く分かっておらず感覚でイメージしていた事が間違いだった。ちょっとググれば分かるのに。

 

近所の大手学習塾に電話で資料請求するとこんな感じでした。

設備費ってなんやねん!?
と疑問が残るものの、文句言っても始まらないので(そもそもまだ通ってすらいないが)ここは止めた。

 

他も大体似たような感じだった。これが個人指導塾になるとさらに8,000円~10,000円アップする。2つ3つ資料取り寄せて比較。格安の塾はないかと個人経営の塾も電話で問い合わせたがそんな塾あるはずもなく・・・。

 

お金以外にも問題がある。塾の送迎だ。
中学の塾の多くは19時30分から22時まで(俺調べ)。行きはまだいいが、22時に車で毎日迎えに行くのは厳しい。まだ保育園児と小一の子供がいるウチみたいな家庭は22時に迎えに行く事は出来ない。というのも僕の仕事が時間不規則なので夜中に仕事で家を空ける事があるからだ。チビ2人を家に置いて嫁が迎えに行くわけにもいかないし、22時に2人連れて塾に迎えに行くのも気が引ける。というか22時には寝てる。
近くの塾なら自転車で行けるかもしれないが、雨の日は???とか。

 

う~ん、早くも詰みだな。そう思わずにはいられなかった。

 

夫婦会議でも「そこまで無理して塾に入れる必要はないんじゃないか?」となったけども、子供が塾に行って良い成績残して進学校に行きたいと言ってる以上は応援してやるのが親の務め。でも現実は厳しい。どうしようか・・・。

 

 

話は変わるが、「塾に通っている子供と通っていない子供」は学力・成績に相関があるのか気になったので少し調べてみた。

東洋経済オンライン:「親が貧しい子」は勉強でどれだけ不利なのか

https://toyokeizai.net/articles/-/179582?page=3

 

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ふむふむ、親の年収が高い児童ほど、高い学力を持っているのか。
だろーねっ!!うっせーよ!!

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はいはい、金がある家庭は塾に通う費用も捻出できるから比例して頭も良くなるって言いたいわけね。よーするに塾に行った方が進学校に行けるって言いたいわけね。
面倒くさっ!!じゃ金がない家庭は進学校に行けないって言いたいのかよっ!!

 

いろいろ漁って調べたけど、大体似たような事が書いてあって萎える。
感情的になっても仕方ないので冷静に見ると、親の経済力と子供にかける教育費が学力の相関に強く出ている事は明らかだ。

 

やはり、塾には通わせたい。学歴はそこまで重視していないけど、学力は絶対に付けるべきだと僕は思う。理由はシンプルで選択肢が広がるから。

 

そんで気になる記事を発見した。

リセマム:低所得でも高い学力・・・生活習慣や読書が好影響

https://resemom.jp/article/2018/06/28/45349.html

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難しい事が書いてあったけど、親の年収や学歴が低くても良い点数を取ってる子も一定数いるみたいだ。その特徴が親が子供に対して「規則的な生活習慣を整える」、「文字に親しむよう促し、知的な好奇心を高めるように働きかけている」事らしい。

 

活字で読むと堅苦しいけど、「早く寝て朝飯食え」、「本を読め」、「南極は一日中明るい時があるけど何故でしょう?」みたいな事を子供に働きかけている事が大事って言いたいんだと思う。(違う?)

 

それなら比較的時間がある俺は有利(もっと働けよ)だし、今までそういう事はやってきているぞ!よし!じゃあ塾は行かずに頑張って独力で進学校に行ってもらおう・・・とはならないよねー。どう考えても上記に加えて、塾でも頑張るのがベストだってのは頭では理解しているのよ。でも金が・・・。(結局元に戻る)

 

 

いかんいかん!諦めてはならない!!
どこかに突破口があるはずだ!知恵を絞るんだ!ガンバレ俺!!

 

俺に似たような境遇の人はきっといるはずだ。そしてそういう人間に手を差し伸べる人もいるかも!と他力本願一直線の俺に本当に手を差し伸べる人がいた!!
今はインターネットで塾に通える時代なんだね!ありがたい(泣)。

www.aoi-zemi.com

そんで安いーー!!

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これだと安いし送り迎えもなくて自分の部屋で完結する!
めっちゃええやん!!
あとは先生の質の問題だけど、これはやってみないと分からんから一回やってみよう!一ヶ月はタダだし。

 

あ~これで塾問題が解決(?)したぞー。でもこれで娘の成績が伸びなければ塾選び直しなのか??まぁいいや。今はこれでいこう。しかし心が軽くなったなー。頑張れー娘ー。応援してるぞーー!!
アオイゼミさん、ありがとうございました!!これからよろしくお願いします!!

人を表面だけで判断しない事が大事だと思うのであります

とても善い人がいる。

とても悪い人がいる。

 

 

 

この善悪って実は結構難しいと思っていて、「本当にそれ悪い人って言えるの?」と感じる事がよくあります。逆も然り。
人付き合いってよほど仲が良くない限りは表面上の付き合いになってしまいがちで、実際どう思ってるのかなんてわかりませんよね。だからこそ話と行動が一致してない時に「???」が並ぶのです。

 

 

以前、長女が友達の家にお泊りする事になりました。長女と仲がよく、とても良い子でした。お友達の親も長女を気に入ってくれて「娘ちゃんは本当に良い子ですね!是非ウチに泊まっていって下さい!」とお願いまでされました。僕としても全然OKでしたし、よろしくお願いしますと快く送り出しました。それからウチに泊まったり、向こうに泊まったりするようになりました。まぁよくある話です。
向こうの両親もとても感じの良い方で、長女をとても世話してくれて頭が下がりっぱなしでした。ここまではよかった。

 

ただ、交流が進むにつれ「ん?」と思う事が増えていきました。
休日のある日、お友達の母親が

「ウチの子が長女(俺の娘)と遊びたいって聞かないもんですから、貸して頂けませんか?」

ときた。まぁそれは全然よい。「貸して」の一言にピクッとなったが、言い方の問題で他意は無いだろうとスルーした。
そして娘を「貸して」帰ってきた時、何やら色々買ってもらっていた。
ポーチやら文具やら、おそらく何千円かしただろう。迷惑かけてはいけないので金は持たせていたが、友達の母親が払ってくれたそうだった。娘に尋ねると、自分で払うと言ったけど、聞いてくれなかったそうだ。
それについては嫁の方から電話してお金は払うからと伝えたが、これは気持ちだからと受け取ってもらえなかった。

ん~なんだかな~・・・

 

と思い始めた。遊びに連れて行ってくれるのはありがたいけども、お金を使うのはどうなのかと。

それからも週末通いは続き、それがエスカレートしていった。(ウチは遊びに金をかけないので、子供たちは向こうの家族で遊びたがった)
公園とかモールに連れて行ってくれてると思っていたが、どうやら動物園や遊園地等、お金がかかる場所へ連れて行っていたようだ。後で知った事なので、遅ればせながら謝罪して金は払うと強めに出るが受け取ってくれない。

更には向こうの母親から「娘ちゃんのお母さんにはお金使ってる事は黙っててね」と娘にウソを強要していたのだ!!その事を初めて知り、怒りの感情が湧いてきた。お金は払うからこっちの好きにさせろ、とでも思っているんだろうか・・・。それとも貧乏な我が家を気遣っているのか・・・(貧乏は当たってるけど)。

 

更に怒りがマックスに達したのは
「あ、俺鎖骨骨折してるから」
発言を娘から聞いた時だ。

 

その時は連休か何かのタイミングで東海地方でも指折りの巨大テーマパークに行くと言っていた(そのお金も受け取ってはくれなかったが)。
もちろん超渋滞、駐車場満車。そんな中、長女の乗った車は警備員と話しながらスイスイ迂回し、目的地に到着。身障者用の駐車スペースに駐車した。

 

警備員:すみません、ここは身障者用のスペースなので、健常者は・・・

父親:あ、俺鎖骨骨折してるから。

 

と鎖骨に手を当てて警備員に説明。そのままテーマパークに入場したらしい。
父親が父親なら母親も母親だ。

「もう、この人はいつも嘘ばっかりついてww」

と笑いながら入場したらしい。
お読み頂いている方も分かってるとは思うけど、もちろん骨折などしていない。

 

怒り心頭に発するとは正にこの事。
人の子供を連れ回して目の前で大人が堂々と嘘をつき、挙句子供に「お金は貰ってないって言って」と嘘をつかせるなんて、どういう了見だ!!自分だけ良ければいいと思っている人間は大嫌いだ!!
困ってる人は助けなさい。 これは子供に口うるさく言っている。
今回の件は娘が悪いわけではないと思うが気になったから聞いてみた。

 

俺:もし身障者用駐車スペースが満車で車椅子の人が来場したら、そこに駐車出来ないよね?そしたら車椅子の人は凄く遠くから来ることになるるけど、娘はそれをどう思う?

 

娘:ダメだと思う。でも怖くて言えなかった。〇〇ちゃんも「ウチのお父さん私には嘘をつくなっていうクセにこうゆう時は嘘つく」って言って怒ってた。

 

それを聞いて少し安心した。子供は子供で分かっているものなのだと。

我が家ではよその家でご飯食べたとか、何か貰ったら絶対に報告するように言っているのに、それをさせない大人。よその子にウソをつかせる大人。更に身障者用の駐車スペースに停める思慮の浅さに腹が立ちすぎて、もうその親の元へは二度と娘を送らないと決めた。

 

その後、偶然(?)に向こうの娘に仲が良い友達が出来たらしく、その子にまた同じような事をしていると耳にした。結局、ウチの娘とは遊ばなくなった。あの時の「貸して」発言は言葉通りの意味だったと後で分かった。

 

 こちらの両親は表面的にはとても善い夫婦だ。愛想も良く、笑顔で人と接するので評判も良い。でも俺はこの夫婦がハッキリ言って嫌いだ。
この事からも善い人(と言われてる人)が「善い人」とは限らないと思っている(悪い人ではないかもしれないが、少なくとも善い人ではないはず)。

 

 

 

一方で近所の人から嫌われまくっているオヤジがいる。
そのオヤジはゴミ収集所の番人みたいな人で、燃えるゴミの日の朝はいつも見張っている(完全なボランティア)。理由はみんなが適当にゴミを出すからカラスに荒らされてしまうから。
僕がそのゴミ収集所にゴミを持って行った時も「そんな置き方したらカラスが食べにくるやろがっ!!」と怒鳴られた。僕だけじゃなく、みんな怒鳴られている。
だから近所の人からめちゃくちゃ嫌われてるし避けられてる。
でもですね、その人が管理してる収集所はいつもめっちゃキレイなんですよ。他の場所の収集所はカラスに荒らされたり、燃えないゴミとかが入ってて収集されてなかったり。この嫌われ者のオヤジのおかげでその周辺の住人はカラスによる被害を受けていない。

カラスに荒らされるとゴミが散乱して車が通れない程になるんですよ。それが少なくともこの近所では起きていないという事はその人のおかげ以外の何物でもない。そこについては僕は感謝しているし、何か恩恵を受けるわけでもないのによくやるなーと感服する。でもそこのオヤジは嫌われているし「悪い人」扱いを受けている。

 

暴言吐くし態度も横柄。ゴミ出す人を威嚇する。だから嫌われるけどもやっている事は公共性ある善い事だと思う(もう少し人当りを柔らかくすればいいのにとは思うが)。表面上悪い人(嫌われてる)だけども、やってる事は凄く善い事。

 

実は僕自身も表面上とても素行の悪い人をそのまま受け取って反省した過去がある。
だからこそ、きちんとその人の本質を見る事が大事だと考えている。特に悪い人(嫌われてる人)は人に避けられる、ウザがられる程の事なのか、を考える事がとても大事だ。よく言われる「人を見かけ(表面)で判断しない」器の広い人間になりたい。

 

 

終わり!!

里親になろうと試みたけどそんなに甘くはなかった件

世の為、人の為、みんなが手を取り合う世界。
これは僕が思う優しい世界だ。
実現したいとかそういう事ではない。
こんな世界だったら素晴らしいだろうな、とかのただの理想郷。
大きな事じゃなくていい。どんな小さなことでもいい。落ちてるゴミを一個拾ってゴミ箱に捨てた、とか誰にでも出来るけど誰もやらない事を多くの人がやれば優しい世界になるのではないかと、そう思って日々生きている。(拾ってないけど)

  

自分にも出来る優しい事とは何だろうか。
献血は気が向いたら行っている。俺みたいなクソみたいな人間の血液で人が救えるのならどうぞ使ってくれ。あ、でも俺も死にたくないからほどほどにな!って気持ちでやっている。あとお菓子とジュースたくさん飲み食いできるところも気に入っている。
(でも去年くらいからお菓子が撤去された。もしかしたら俺がお菓子食い過ぎて予算が足りなくなって撤去したのでないかと思い、内心ビビっている)
他にも地域の行事とか草刈りとかあったら行くようにしている。俺が今暮らせるのはこの地域の人々が守ってきた上に成り立っている。これは忘れてはいけない。

 

毎日毎日のほほんと生きているのは俺だ。
そんなある日こんなニュースが目に入ってきた。

sirabee.com

俺は考えた。
俺にも何か出来る事があるのではないだろうか。
困っている子供に手を差し伸べなければならないのではないか。
自分は何不自由なく幸せを満喫しておいて、困った他人には知らん顔していては優しい世界はやってこない。そんな卑怯な真似はしてはならない。お母さんに怒られるぞ!!

 

 

それから数日後、嫁さんと一緒に役所に足を運んだ。子供支援課的な(正式名称忘れた)名前の部署に案内され、2名の美女と相対した。うむ。美女と話すのは気持ちがいい。これは僕の下心がそうさせるのではない。男の本能に組み込まれたDNAなのだから仕方がない。文句があるなら神様に言ってくれ。アーメン。

 

その美女2名から色々説明を受けた。児童虐待が発覚して親と子供を離さなければならない親子、経済的に困窮していて子育て出来る環境にない家族、親が交通事故で子供を育てる事が難しくなった人、子供を育てる事を止めてしまった人等。聞くだけで胸が苦しくなるような時間だった。何不自由なくのほほんと過ごしている自分に罪悪感すら感じた。子供は親を選べない。不幸な環境に生まれてしまった子供は誰かが手を差し伸べなければならない。僕はより一層「手を差し伸べてやらねば」との想いを強くした。

 

これを解決するには「里親制度」に登録しなければならないとの事だった。うん、それなら聞いたことあるぞ!ただ実際には里親制度も色々あって、短期なのか長期なのか年齢はどの程度なのか、男か女か、他にも項目がたくさんあった。例えば我が家には子供が3人いる。長女は当時小6だったので年ごろの男は受け入れるのは難しいだろう、とか。下の子は2人とも保育園児だから赤ちゃんはダメだろう、とか。


あと実際の親と子供がはち会うのは絶対に妨げなければならず、引き受けた子供と一緒にスーパーとか遊びに行くとはかアウトだそう。他にも四六時中目の届くところにいなければならず、お留守番もダメ、遊びに行かせるのもダメだと言われた。スーパーで買い物する間に車で待たせる事もダメだと言われたのには驚いた。そんなんで生活するのって事実上不可能じゃないか!!とにかくあれもダメ、これもダメでとても受け入れる事は出来なかった。もし受け入れたとしても、我が子の幸せ満足度が下がるのでは本末転倒だ。

 

他にもある。子育てする上でお金は大きな問題だ。経済的に余裕がある家庭しか事実上受け入れていない事も分かった。その意味では我が家に余裕はなくとても受け入れられる状況ではない。実際に受け入れるのであれば、嫁は受け入れた子に付きっ切りになるはずで、仕事も辞めなくてはならない。それは無理だ。また、里親に関して、受け入れた子供にかかる費用は行政が支払う事にはなっているが、事実上家庭が持ち出している場合も多いとの事。

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そんなやりとりをして、結論としては今里親になるのは不可だった。受け入れを甘くみていたと反省した。勢いだけでここまできてしまい、また悪いクセが出たかもしれない。美女2名からは「里親受け入れが本当に足りていない、今回は条件が厳しいけども、いつか子供たちが大きくなったら是非来てください」と言われたのが唯一の救いだったかな。美女に励まされると元気が出るね!!

 

それでも詳しく話を聞き、確かに今受け入れるのはとても無理だろうと納得した。実際に受け入れているのは子育ての時期を終え、ある程度生活資金もある方がほとんどだという事だった。考えてみると、そりゃそうだと思う。自分の子供を育てながら他人の子供を育てるのがいかに難しいか、少し想像したらわかる。今の我が家の環境、財政状況ではとても里親になる資格はない。話が終わる頃にはしょぼんとした、と同時にま~そりゃそうか~と妙に納得した。

 

最後に今回の件で感動した事を1つ。
里親として受け入れてくれる人は、多くの方を受け入れてくれているそうだ。一時里親として受け入れ、送り出してはまた受け入れて。その様に繰り返して子供たちを受けて入れていて子育て支援課的な部署としても本当に助かっていると話していた。

 

やっぱり誰にも知られずとも、優しい世界を目指して行動している人はいたんだ!!

 

今回俺は何も協力する事は出来なかった。スタートラインにすら立つ事は出来なかったが、人知れず優しい世界を目指している人がいると分かっただけでも、良かった!!
いつか子供たちが自立して、お金持ちになったら(いつ!?)子供たちに手を差し伸べる事が出来るイケメンチョイワルジジィになっていたい。

前回会えなかったばーちゃんの家にもう一回行ったら会えた

以前書いた記事で〇〇砲をくらった。
〇〇が何か分からないのが、おそらく「はてブ」というヤツだと思う。
アクセス解析で「はてブ」が急増していたから。
ちなみにその記事は僕の会心の出来であると密かに胸の内にしまっていた為、とても嬉しい出来事であった。

www.sunteras.com

 

ただそれよりも、いつもブログを興味深く拝見させて頂いているフミコ・フミオ様に僕の拙いブログを見て頂いた上に「いい。」と拡散してもらえた。
おそらくここから〇〇砲に繋がったかと推測される。 

 

 

 ※前回の吉田様に続き、またもや勝手にご紹介させて頂きました。
不快であれば紹介部分は瞬殺しますのでお手数ですが、「消せ」と一言仰って下されば幸いです。

 

 

という訳で、一番読んで頂きたかったブログをお読み頂いた方々、「いいね」や「スター」をくれた方々、拡散して頂いた方々にこの場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
そしてなんともまぁタイミングよく、昨日ばーちゃんの家に行く事が出来ましたので、そちらも合わせてご報告致します。

 

 

 

 

仕事でばーちゃん家の近くまで行く事になった。
丁度、この仕事が終われば後はフリーだったので家を覗きに行ってみた。
前回同様ピンポンを鳴らそうと思い、玄関前に立った。

ゴソゴソ

 

お!全く無音だったこないだと違い、家の中から物音がする。
希望を持ってピンポンを鳴らした。
超スローだがすり足でこちらに向かってくる音がする。
ゆっくりゆっくり、スライド式の扉がガラガラと開いた。
ばーちゃんがいた!(生きてた!!)

 

俺:久しぶり、ばーちゃん。覚えてる?

 

ばーちゃん:ほえ?ヤマトの人かえ?今日はどうしたの?

 

俺:ヤマト?違うよ。ずっと前のコンビニの店長だよ。忘れた?

(ヤバイ、呆けたのか??) 

 

ばーちゃん:あ、ああぁぁ。覚えとるよ。自由ちゃんかえ?どうしたん急に?元気しとったんか?

 

 

良かった、生きていたし僕の事も覚えていた!
とりあえず買ってきたコーラ(昔好きだったやつ)と饅頭を渡そうとすると、「もう歯もないから何も食べられないんよ。医者からも止められとる。今はこの飲み物しか口にしとらんから、持って帰り」と言われた。
時は流れてもう今は固形物は飲み込めないとの事だ。
そこからは思い出したかの様に話し出した。うんうん言って聞いていたが、玄関先に来るだけで息をきらしたばーちゃんだ。疲れさせると悪いと思い、「今日は仕事ついでに寄っただけだからさ。また近くに来たら顔出すから、もう行くよ。」と伝えたものの、「もう行くんかえ?ちょっとだけ上がり!10分だけ!5分、3分でええけ」と懇願されたので少しだけ上がる事にした。
そこからまたばーちゃんが喋り倒した。

 

腸閉塞になっていて固形物は食べてはいけないと医者に言われた。
少し前に大腸の手術をした。
戦争はいけない。昔はこの周辺は焼け野原だった。戦争は二度と経験したくない。
施設を勧められるけど、行きたくない。ここで死にたい。
夫に旅立たれてから、28年間一人で生活している。一人は寂しくてたまらん。本当に寂しい、つらい。
あとはお迎えが来るのを待つだけだ。


10年前と変わらず、暗い話が多かった。でも1つだけ笑顔になった話題があった。
僕に子供がいると話した時の事だ。
「自由ちゃんにも子供がいるんかえ?そ~、良かったねー!何人おんの?名前は何ね?男の子ね?女の子ね?」
目を輝かせて僕の子供について何べんも聞いてきた。忘れっぽいらしく、白紙に忘れない様に子供の名前と年齢を書き出していた。

10年前の続きの様に近況を話していた。もっと話したいけども、ばーちゃんに負担をかけてはいけない。そろそろ帰ろうと思い、立ち上がってもまた引き留められる。最終的には「今度は子供も一緒に来るから、今日はもう帰るね。」と言い残し、半ば強引にその場を去った。結局30分くらいはいただろうか。

 

あと最後に写真を撮ろうと提案してみた。
写真なんてもう何年も撮った事がないと照れ臭そうに慌てだした。
マスクしてモワモワした大きい帽子を被っていたが、写真を撮るからマスクと帽子を外した。

 

 

ばーちゃん:わたしゃ歯もないのにどうやって映るかね(笑)。口閉じて映ればええかね(笑)

 

僕:どっちでもいいよ。ピースしてよ、ピース!

 

ばーちゃん:ピースってこれかえ(笑)?こんなの何十年ぶりかね!

 

僕:ハイチーズ!

 (悪徳詐欺師みたいだな、俺)

 

 

気前よくダブルピースしてくれた!
笑顔で良い写真だ!!
これで5歳は若返ったんじゃなかろうかww 

 

あー生きていてよかった!
次は子供を連れて行くミッションが出来てしまった。
まだまだ長生きしてくれよな!

男の乳首は何の為に存在するのか問題

モノゴトには全て原因がある。
山の上で魚の化石が見つかるのは、元々そこは海だったから。
野球場のグラウンド内に魚が落ちてきたのは、鳥が間違って落としてしまったから。
一見すると「なんで?」と思う事でも原因を知ると「あ、なるほどね!」と納得し、安心する。
ココにあるはずのないモノゴトが起こると、人間不安になってしまう。
と同時に原因を知ると安心出来る高度な生物だ。
原因と結果の因果関係を日々研究している学者様には頭が下がる思いだ。
是非今後とも我々下々の民の安心の為にご尽力して頂きたい。

 

 

ただ僕はここで一つ異を唱えたい。
もちろん日夜研究を重ねている学者、研究者の皆様、これほどまでに発達した技術力を駆使しても解決できない事象が山の様にある事は理解しているつもりだ。
それを踏まえても最優先して解決してほしいのである。
それは・・・

 

 

 

男の乳首は何の為に存在するのか問題

 

 

 

この問題は深く僕の中に眠っていたものだ。もう世に顔を出す事はなかろうと思っていた。しかし僕の奥底から掘り返してくれたのにはきっかけがある。
この吉田粘土様の「皆さん、そろそろ見て見ぬ振りをやめませんか?」の記事の中に潜んでいた。 

natu-daze.hatenablog.com

吉田様、あまりにも感銘を受けたので勝手にご紹介させて頂きました。
失礼とは存じますが、吉田様のこのブログがなければ僕は目を覚ます事はなかったでしょう。(もし不快なら仰って頂ければ秒で消しますのでご一報下さい)

 

 話を戻します。
そうです。僕は見て見ぬ振りをしていました。自分が男であるにも関わらず、自分の部位の事をあろう事か目を逸らして30年以上生きてきました。
お風呂の時に鏡で見ているはずなのに、着替えの際に直で見ているはずなのに、パイ毛を抜く時なんて摘まんだりしていたはずなのに!!
心の目では見ていなかった事をここに告白致します。 
これから先の僕の人生、「乳首はなぜここにあるのか」という疑問と一緒に生きていくことをここに誓います。アーメン。

 

僕なりに「男の乳首は何であるのか問題」について考えてみました。
まず、男の乳首について分かっている事を整理します。

 

・おっぱいは出ない

・触るとくすぐったい

・周囲に毛が生える

 

まぁ、このくらいではないでしょうか。整理のしようがない。
これだけ見ると本当に必要ないなという思いに耽る。
い、いかんいかん!!物事には因果関係があるのだ!!そこにある理由が必ずあるのだ!頑張って探れ!俺!

 

そういえば同級生が興味深い事を言っていたのを思い出した。

 

同級生

調子こいてバイクに乗ってたら、すっ転んで思いっきり前方にダイブした事があるんだけど、腹からアスファルトに擦って体の全面は血だらけの大怪我よ!その時、乳首取れたんだって!!乳首なくなったんだよ俺!マジだぜ!!

 

そんじゃ今のお前、お腹か背中か分からないじゃん。

 

 

すると同級生はドヤ顔でTシャツをめくった。すると驚くことにあるはずのない乳首があったのだ。どういう事だ!!?

 

同級生

乳首って再生するんだぜ・・・(ニヤリ)。

 

 

え・・・。
そんな馬鹿な。
でも・・・、そうか。
やっぱりそうだ!そうだったのだ!
男に乳首は必要なのだ。
そうでなければピッコロじゃあるまいし、失った身体の一部が再生するはずがない!
必要だから再生したのだ!
乳首は必要なのだ!!

 

DNAに組み込まれた乳首の設計図が存在する事が、乳首が必要である事を物語っている。それでもなぜそこにあるかが分かっていない。これは由々しき事態だ。何としても解決したい。
そこで僕は幾つかの仮説を立ててみた。

 

①背中とお腹を区別する為

②何かしらの目印

③神様が男を作るとき間違った

④念のために神様が作ったけど、最終的にいらないと判断された

⑤デザイン

 

 

 

2時間考えたが、どれもありそうでなさそうな仮説しか出なかった。
強いて言うなら④か⑤が有力か・・・。

 

④念のために神様が作ったけど、最終的にいらないと判断された

人類の起源が500万年前と考えると、「男ももしかしたら乳首いるんじゃね?」と考えていても不思議ではないし、実際何かに使っていたのかもしれない。そして服を着るようになった現代では必要なくなったと考えると辻褄が合うのだ。重要なのはリスクヘッジだ。飛行機のエンジン2つ以上ついている。それはエンジンの1つにトラブルが発生してももう一つのエンジンである程度飛行可能な状態にする為のリスクヘッジだ。
乳首=リスクヘッジ説

 

 

⑤デザイン

乳首がない身体には野暮ったい印象が強くなるはずだ。平面な割に中央下部にヘソという穴があるだけ。これだとどうしてもデザイン性に劣る。特に黄色人種である日本人は乳首がなければ、ヘソの黒いのがヘタに見えて、みかんの皮の様に見えるのではないか。それが乳首の存在により野暮ったい印象から、締まった肉体に変化すると思う。
乳首=デザイン性が高まる説

 

 

よし、これにて男の乳首必要なのか問題は解決とさせて頂く。正しい答えなんかいらない。答えは無い方がロマンチックじゃん?お星さまは眺めるだけで素敵やん?
でも最後に一応ググってみた。

 

logmi.jp

 

答えあるんかいっ!!!!

皆様、長文をダラダラと大変申し訳ございませんでした。
リスクヘッジ説とデザイン説は脆くも崩れ落ちました。
あー、やっぱり正しい答えなんて知りたくなかった・・・。

僕の10歳の頃のクソガキ時代と現代の10歳の礼儀正しさについて

時代が変われば行事も変わる。よく言われる「ハロウィンいつからこんなに盛り上がってたの?」問題は、恒例行事になってきており、そろそろこの問題は消えると想像している。そしてあと10年もすれば「昔ってハロウィンなかったらしいよ」に移り、更に10年経てば「ハロウィンって日本が発祥じゃないらしいよ」とギャルが渋谷でドヤ顔しているのが目に浮かぶ。

これはある記事で読んだものだが、大学の歴史専門の教授がある日電車に乗っている時の事だ。

 

高校生5,6人が

高校生A:昔、日本ってアメリカと戦争したらしいぜ

高校生B:えっ!!マジ??そんでどっちが勝ったの?日本?日本だよな!!?

と会話していた。
それを聞いた教授は荒れた息を整える為に、予定していなかった駅で降りた。
絶望しきった教授は日本の未来を憂えた。

 

というもの。
時代が変われば忘れ去られる事もあり、変わっていく事もある。
それが世の常だという事だ。


まーわるーまーわるーよ
時代-はまわるー

 

という事なのだ。
僕が10歳の頃はなかったイベントもある。「2分の1成人式」だ。娘が10歳の時にそのイベントを知らされた。最初耳にした時は「なんやねんそれ」としか思わなかったが、今では全国的なイベントであるらしい。このイベント必要?って意見は、経験していない僕の中に存在するものの、子供たちが楽しそうな姿を見ると「イイモンだなぁ、よし特別に認めてあげよう」と思う(何様?)。

 

 

ふむ。いかにも前置きっぽい前置きは終わった。
本題はここからだ。僕が言いたい事はここからなのだ。是非ついてきてくれ。
ブラウザバックボタンをクリックしようとした人、戻るボタンをタップしようとしたiPhoneユーザー、とにかく一刻も早く戻りたい気持ちの読者、待ちたまえ(アンドロイドワカラナイ)。
前置きで終わるのは映画の予告編だけ見て帰るようなもんだぞ。
前戯だけして本番はしない人はいないだろう。俺はしない。
だから俺は言いたい。

 

フォローミーーーーー
※ジャンヌダルク(ミラ・ジョヴォヴィッチ)

 

 

うむ。言いたい事は言った。
あ、しまった。本題を前に遊んでしまった。
これからいよいよ本題に移ろう。

 

 

僕が10歳の頃と一番変わったのは子供だと感じている。
今の子供たちは本当に礼儀正しいし、優しい。一部そうでもない子供ももちろんいるが、それでも僕が10歳の頃と比べるとかなり、かなりマシだ。

ウチにはよく子供が遊びに来るが、まず
「お邪魔します」
と言う。それだけでも僕からすると100点だが、自分の靴もきちんと揃えてから入室するのだ。更に驚くことに、僕が家に帰った時、遊びに来ていた子供が「お邪魔してます」と言い放った。
思わず僕は心配になって
「そんな言葉誰から習ったんだ君は?」
と詰問口調になってしまった。
人質でも取られて誰かに言わされているのではないか、と。


子供は大人の言う事を聞かずに自由に振舞う事が許された特権のはずだ。
その特権を放棄し、今の子供は学校に行って勉強勉強。帰ったら帰ったで宿題に追われ、唯一の遊ぶ時間でさえ礼儀正しくする事を強要される。

 

そんなの大人だって出来ないよ。俺は本当に無理だ。
そう。こないだの娘の小学校の卒業式の事だ。席に座って2時間何もしてはいけない拷問を受けさせられた(じっとしたら死んでしまう病)。死ぬかと思った(近所では僕の事を回遊魚だと言われている(泳ぐの止めたら死ぬ魚))。
子供たちの合唱や一人ひとりの卒業証書授与は感動ものだ。だからそれは大丈夫だ。我慢とも思わない。子供にとって大切な時間だ。僕が辛抱溜まらんと思うのは来賓の挨拶に付き合わされる子供と我々である。
市長代理だの市議会議員だの役所の誰々だの、わざわざ子供たちに毎回一礼を求めて長ったらしいありがたい言葉を述べる偉い人。それを姿勢正しく聞く子供たち。これには足元から崩れ落ちそうになったところを嫁に支えられ何とか耐え抜いた。


今の子供たちはこんな事にも我慢できるのか、と感動を覚えた(そこっ?)。
まず僕なら無理だ。倒れて保健室行きだろう。
「最近の子供は」という聞きなれたフレーズがあるが、今の時代は合わない。
今の子供たちは僕が10歳の頃よりも遥かに礼儀正しく忍耐強い。むしろ年配者の方がマナーも悪く我慢出来ないのを多く目にしてきた。それでも最近の子供は・・・という輩には僕が蹴り入れに行くのでご報告お待ちしています。

 

 

 

僕が10歳の頃なんて本当にクソみたいな子供だった(今もクソだというツッコミは受け付けない)。10歳に限った事ではないが、先生の言う事はもちろん聞かない。掃除しない。授業中うるさい。目の前の事しか見えておらず、礼儀や我慢なんかクソくらえ状態。常に界王拳発動中。マジで文字にするのが恥ずかしく、地元に帰ったらいつも皆に「あの時は申し訳なかった」と謝り倒すので、あまり帰りたくないくらいだ。前回のブログに続いて穴があったら入りたい。

 

僕はとにかくいたずらが好きなクソガキであった。
学校帰りには必ずピンポンダッシュしていた。後になって、あるお宅があまりにもピンポンダッシュされるのが理由で、門のピンポンをピンポン鳴らないようにしていたのを知った。申し訳ない。(実は友達の家だったが)

 

他にもある。
友達の団地で遊んでいた時のこと。5階の部屋に投函されている新聞を3階の部屋に投函するという愉快犯は僕だ。意味なんかない。今となってはただただ謝罪したいのみである。

 

押しボタン式の横断歩道。渡った後にボタンを押すという愚行も犯していた。渡ってからボタンを押し、無人の横断歩道で車は赤信号で待つという人生で最も無意味な時間を大量に製造していた。本当に申し訳ない。あの頃はボタンが押したくてたまらなかったのだ。押せるボタンは全て押したい。エレベーターのボタンも全て押した。誰も乗らない、誰も降りないのに全ての階で止まり扉が開く。聞こえるため息。止めない僕。
あぁ、書いてて嫌になってきた。
学校の消火栓のボタンも押した。ジリリリリリ!!響き渡る校舎。鳴り響くベル。
「俺じゃない!なんか、勝手に・・・」と謎の言い訳する俺。激怒する先生。

いたずら電話なんて毎日やっていた。
特にフリーダイヤルは料金がかからないという事もあり、格好の遊び相手だった(変な知識だけはあった)。
いつもの様に電話をかけると「またお前か!!」と言われた。ついに声を覚えらる程成長したのか、と変態的な達成感に身を震わせたものだ。

 

授業中ももちろんうるさい。あまりにうるさくて席替えのタイミングで僕の席だけ教壇の横になってしまった。先生、本当に申し訳ない。今後はうるさくしないので許して下さい。

 

もういいだろうか・・・。心が痛くなってきた。大変申し訳ございませんでした。
皆さん、どうか許してください。本当はもっとあるんですが、PTSDになりそうなので勘弁して下さい。

 

 

それはそうと、僕が10歳の頃はこんな子供で溢れていた(自分は棚に上げておく)。いたずらで済めばまだよくて、法を犯す者もいた。それがどうだろう。今の子たちは礼儀正しく迷惑もかけない。いたずらもしない。自分のやりたい事を出来ているのか心配になる程だ。もっと迷惑かけて怒られて、大きな大人になって欲しい(自分以外の様な)。大人の言う事ばかり聞いてる様で可哀想に思ってしまうのは僕だけだろうか。

 

 

先生たちは僕を不安にするけど
それほど大切な言葉はなかった

 

誰の事も恨んじゃいないよ
ただ大人たちに褒められるような馬鹿にはなりたくない

(少年の詩/The Blue Hearts)

 

今の時代には合わないだろうが、こんなロックな気持ちも少しは必要なんじゃないか、と大きなお世話ながら感じる今日この頃。