自由意志

日常のささやかな出来事を少しだけ面白く表現したい

自分の生き方を再確認させてくれたベビーカーママさんと手伝って当たり前おばさん

僕は優しい男とでありたいと思っているし、実際優しいと思っている(?)。
困った人は助け、弱い人には手を差し伸べる。それが人として当たり前の行為であり、僕の生き方だ。本気でそう思っている。
がしかし、僕のこの考えに一石を投じる女性が現れた。

 

 

先日この様な事があった。地下鉄ホームの横幅広めの階段の下で立ち往生しているママさん。ママさんの右手には子供を引いており、左手でベビーカーを握っていた。階段を上がりたいんだろうが、ベビーカーに赤ちゃん乗せたまま持ち上げるわけにもいかないし、すんごい人の多さで持ち上げるスペースもない。困った(焦った)顔して階段の隅っこで小さくなって「どうしよう」って表情をしていた。推測だが、このママさんは初めてこの駅に来たと思われる。おそらくエレベーターがあると想定して子供二人自分一人で来たのだろう。でもこの駅は古く、エレベーターはなかった。地上に上がるには階段かエスカレーターで上がるしか方法がない。

 

そこで困った女性の味方、自由君の登場である!!

「僕が持ちますよ」

と声をかけてベビーカーの赤ちゃんをだっこしてもらい、僕がベビーカーを階段の上まで運んで差し上げた。そのママさんは再び赤ちゃんをベビーカーに乗せた後、しきりにお礼をしてくれた。その事が僕も嬉しいし、ママさんも地上に上がれた事で次の目的地に行くことが出来た。

 

困っている→助ける→お互いハッピー

 

何て気持ちのイイ世界!!みんなこうすれば戦争はなくなるのに、と自己満足を勝手に地球規模にすり替えて余韻に浸っていた。それにしてもあんなに大勢人が通っているのに何故誰も手を差し伸べないのだろうか。みんな冷たすぎる!困ってるんだから助ければいいのに。

 

それから数日後、また同じような出来事が起きた。
大きめのデパートで1人プラプラしていた(友達いない)時の事、

 

「誰か手伝ってくれる人はいないかねーーーー」

 

 と、大きな声で何度も繰り返している女性がいた。人通りは少なくチラホラと通る程度の通路。普通なら誰か手伝ってしかるべきだ。しかし、誰も手伝わない。先日あんなに「困ってる人がいるなら助けるべきだ!!」とか言ってた僕もこの人には躊躇した。

 

「こんなに困ってるのに誰も手伝わないんかねーーーー。誰もいないんかねーーー。聞こえないんかねーーー」

 

 

いや、聞こえている。十分な声量だ。おそらく困っているであろう事も分かる。しかし手伝う気がまるで起こらない。というかその言い方に腹立つ。イカンイカン。困ってる人には手を差し伸べるべきだ。世界平和に貢献するんだ。
よしっ!とその女性に足を向けて動き出したが・・・。
階段は3段、片手には小さめのバッグ。横にはスロープあり。

f:id:sunteras:20190306140131p:plain

※イメージです。(でも大体こんな感じ)

 

俺いる?

 

「手伝って」って言うけど、何を手伝えば良いの?階段が降りれないって言うけど、横にスロープあるし普通に歩いてるし・・・。その段階で新たな嫌がらせだと判断してその場から去ったのだった。

 

あと、正直に言わせて頂くと、その人の雰囲気、自分で頑張ればどうにか出来る様子、その人の態度等が気に入らなかったのは確かだ。やってもらって当たり前。すっごい嫌味な口調で「誰も手伝ってくれる人は・・・いないもんかねーーー」と言われるとイラッとして手伝う気が失せてしまったのがその場から去った原因の8割以上だ。
手伝ってほしいならそれなりの態度が必要なんじゃないの?そんなんじゃ誰も手を差し伸べてくれないよ。そんな事を考えて家路についた。

 

 

そしてその日の晩、「ベビーカーママさん」と「手伝って当たり前おばさん」について考えてみた(←持ち帰って考えるの得意技)。

 

ベビーカーママさんは助け、手伝って当たり前おばさんは助けなかったのは何故だろうか??手伝って当たり前おばさんの態度は確かに傲慢に見受けられた。これ見よがしに「オラ!そこのお前!私を助けろよ!!オイ!聞いてんのかよ!?」と言われているようでムカついたし、横にスロープあるんだからそこから通れよと思い、スルーした。

でも本当にそうだったのか(←これも得意)。
こちらがムカついたから勝手に「コイツは手伝わなくてもいいな」と判断し、スルーした事に凄くモヤモヤした。ぶっちゃげ、階段3段程度手伝う分には何の労力もなくクリア出来る(何を手伝って欲しいのか不明ではあるが)。それすらしたくなかったのは何故だろうか。そしてベビーカーママさんには40段ほどの階段でも即手伝った。この違いは何なんだろう。

 

※誤解なきように言っておくけど、決してベビーカーママさんがキレイで手伝っておばさんがアレだったからとかそういう理由では決してないから。

 

 

両者共に「階段に上れなくて困っている」点では同じだ。本来なら両者助けなければ辻褄が合わない。
しかし実際にはママさんは助けておばさんは助けなかった。これは自分の思い描いていた世界平和ではないのではないか。困っている人は助けるんじゃなかったのか??
確かにママさんは自分でどうにか出来ないか悩みながらも何か試みていたし、謙虚な姿勢が見受けられた。その点おばさんは助けられて当たり前感がアリアリとしていたし、自分でどうにか対処出来そうな雰囲気だった(スロープ使えばいいじゃん)。

ちょっと待てよ。おばさんが自分でどうにか出来そうだなんて勝手な思い込みじゃないのか??とその時初めてピーンと来た。おばさんの態度も悪いがこっちが勝手に「まぁ、このおばさんは大丈夫だな」と判断するのはマズイんじゃないか。せめて困ってるんだから話くらい聞けば良かったんじゃないかと。やっとこのモヤモヤの正体に気付いた!

 

相手の態度がどうあれ、困ってる人は助ける。

 

これだ!!原因はこれだったんだ!正体が判明し、霧が晴れたようにスーッとしたけども、同時におばさんには申し訳ない事をした、と後悔の念が押し寄せた。おばさんすまん、階段3段程度なら手伝えばよかったね。おそらくおばさんの様子だと3段程度では済まなかったかもしれない。が、困っているんじゃなくて甘えていると分かった場合はキッパリ断ればいいだけのことだ。


この事はサンジ(ONEPIECE)から学んでいたはずなのに・・・
「食わせたいヤツには食わせてやる。話はそれからだ」

 

それ以来僕も「困っているヤツは助けてやる。話はそれからだ」を座右の銘にして生きています。