自由意志

日常のささやかな出来事を少しだけ面白く表現したい

薫子ちゃんとフレグランス  ~3000文字チャレンジ~

職場にフレグランスな男がいる。

 


彼は産まれ持ってのフレグランスな人だ。皆さんの周りにも「あ、この人フレグランスだな」と感じる人はいると思う。彼もその中の一人だ。彼が通った後は皆が振り向き、残り香で脳を酔わせる。まるで一瞬にして目の前がお花畑になったような気分にさせ、現実を忘れさせてくれる程だ。

 

そんな彼は「薫子(かおるこ)ちゃん」と呼ばれている。
薫子は今日も女子社員の注目の的だ。

薫子ちゃんのフレグランスの強さは日によって違う。ほのかに漂わせる時もあれば、強すぎて鼻の奥にツンとする程の時もある。こればっかりは薫子ちゃんのコンディションによるのだろう。誰にも制御出来ない。おそらくは自分でも制御出来ないのだ。そして薫子ちゃんは自分のフレグランスに気付いていない。これはもう確実だ。自分の匂いは自分では気付かないと言われるが、本当にそうだと思う。少なくとも薫子ちゃん程のフレグランスを放つ人ですら気付いていないのだから。

 

実際にこういう事があった。

 


その日の薫子ちゃんは過去一番のフレグランスを漂わせていた。会社が入っているビルはエレベーターで二階に上がり、廊下を歩くと営業所のドアがある、一般的な作りだ。そんな作りだけども、薫子ちゃんが廊下を歩いている段階で

 

「あれ?もう薫子来た?」

「え?薫子のフレグランスしない?」

「まだ来てないよ。近くにいるんじゃない?」

 

女性社員がざわつき出した。その瞬間!!

 

「おはようございまーーーす」

 

 

薫子が出社した。一身に注目を浴びた薫子は

「え?どうしたの?なにかあった?」

 

とオドオドして周囲を見渡したが、女性社員は強烈なフレグランスを奏でる薫子ちゃんから目を逸らして業務に戻った。ある者はマスクをし、またある者はハンカチを口元に当てながらパソコンと向かい合った。

 

この日、薫子ちゃんの強烈なフレグランスを真正面から受けた対面の女子社員は目の痛みと体調不良で早退した。もちろん、フレグランスだけが原因なのかどうかは不明だ。ただ、その日のフレグランスはそれ程に強かった。

 

そう。彼は足の香りがフレグランスだった。(使い方あってる?)
薫子ちゃんフレグランスと足フレグランスが化学反応を起こし、とてつもないフレグランスに変化していた。

 

それでも自分で自分のフレグランスには気付かないんです。足フレグランスなら気付くだろう、と思ったそこのあなた。気付かない人は気付かないんです。薫子ちゃんは実際に全く知らぬ存ぜぬ状態でした。

 

しかし僕は女性のミカタ(誰も頼ってこないけど)。フレグランスに泣く女性の泪を僕は決して見逃さない(泣いてたかは知らない)。だから、直接本人に進言したのだ!

 

 

「薫子、冷静に聞いて欲しいんだけどな・・・。君の足フレグランスがフレグランス過ぎて会社に悪影響を及ぼしている。これは良くない事だ。そして、営業マンがフレグランス過ぎると契約先にも悪影響が出てくる。これは薫子のタメを思って言っている。だから、その、何といえばいいのか・・・とにかくこの事態を受け止めてほしい。」

 

元来は真面目で優しい薫子だ。話の冒頭、拳を固く握って怒りを滲ませていたが、途中冷静さを取り戻し僕の意見を聞き入れてくれた。さすが薫子だ。ただ、この後困った質問をぶつけられた。

 

薫子:「じゃあ俺はどうすればいい?」

 僕:「それは知らん」

 

自分でも冷たい返答だとは思ったけど、そんなフレグランスを放つ原因が何なのか想像もつかない。足を石鹸で洗って済む問題では、おそらくない。それで解決する程優しい問題ではないのだ。第一薫子ちゃんも風呂には毎日入っているはずだ。その足フレグランスが病気なのか、衣類の生乾きフレグランスなのか、洗剤フレグランスなのか、もはや体フレグランスなのか、それは薫子自身が解決する事だから、僕は愛を持って

 

僕:「それは知らん」

 

 

と言ったつもりだ。ただ、匂いは完全に足のアレだよ、とだけ言っておいた。
それからというもの、薫子の戦いは始まった。
薫子のデスクにはファブリーズ、リセッシュ、等が常備されるようになった。ロッカーには詰め替え用まで完備する念の入れようだ。これにはみんな安堵した。「ようやく気付いてくれた」と。どこからか僕が薫子ちゃんに進言したという事が広まり、ありがとう、ありがとうと握手を求める女性社員までいた。うんうん、良かった良かった。僕はそう思っていた。

 

しかしここには落とし穴があった。
リセッシュやファブリーズでフレグランスを無効化(無臭化)する方向までは良かったし、周りのみんなも見守ってくれていた。問題は薫子ちゃんが「良い香り」を求めだした事だ!!これはマズイ。

 

案の定というべきか、イヴ・サンローランの香水が置かれ出した。この辺りまではまだ見逃してくれた。そこまで強いフレグランスでもないし、薫子も苦悩しているんだろうと、見守ってくれていた。が、そのボーダーを超えてしまった。様々なハイブランドの香水に加えてコロン、芳香剤等に手を出し始めた。ここまでは許せるけども、これ以上は許容できない一線を遥かに超えてしまった。

 

薫子なりの理由もそこにはあったのだろう。その日は大型案件のプレゼンをする日。このプレゼン次第で自分の評価、出世に影響する程大きいイベントだ。事前の資料作成、プレゼン練習で夜を徹して準備した。お風呂に入れず、ストレスMAX。もちろん前日の着の身着のままの状態に加えてその日は雨上がり後の日照りで湿気が恐ろしい程社内に充満している。そこに気合の入った薫子の尋常じゃない量の香水シャワーだ。様々なフレグランスがケンカをして毒フレグランスが形成されている。もはや警察が出動してもおかしくない事態になっていた。誰も社内に入れない。入る事ができない。軽めの毒ガスと言って差し支えないだろう。それ程のフレグランス。

 

僕が出社するとビルの下のエレベーター前で女性社員数名が助けを求めるような声で「フレグランス過ぎて会社に入れません。助けて下さい。」と懇願してきた。女性社員に「助けて」と言われて助けないヤツは男ではない。使命感に背中を押された僕は恐る恐るドアを開いた。と同時に閉めた。死ぬかと思った。危うく「フレグランス死」するところだった。救急車で運ばれ、医者に「死因はフレグランス死です。」と言われるのだけは避けたい。家族に顔向けできない。世界初の「フレグランス死」になりたくない

 

間違いない、殺人鬼がこの部屋にいる。口元にハンカチをあて、息を止めて会社に入った。そこには一心不乱にプレゼンの練習をする薫子ちゃんが。

 

 僕:「薫子、一旦やめろ。風呂入って着替えて来い。あともう香水は止めとけ」

薫子:「え、香水?どういう事ですか?僕は今日大事なプレゼンがあるんです」

 僕:「そんな事は分かってる。でも・・・そのままだとプレゼンする前にアウトだぞ」

薫子:「何がいいたいんですか(怒)!?僕は徹夜までして頑張って、このプレゼンにかけているんです!」

 僕:「フレグランスが凄いんだよっっ!!」

 

きょとんとした薫子の目が点になっている。ふ?フレグランス?思い出したかのように自分のシャツに鼻を近づけ匂いを嗅ぐが、「そう?」とでも言いたげな不思議そうな顔をしている。殺人級のフレグランスを充満させても自分の匂いには気付かないのだ。正直「コイツの嗅覚腐ってるんじゃねーか?」と思ったが口に出す事はなかった。

 

薫子は出勤定刻の10分前になっても誰も来ていない事に気付き、やっと事態に気付いたようだ。はっとした顔になり、でもプレゼンが・・・と一瞬迷った顔になったので、

 

「部長には俺が言っておくから」

 

と薫子に言い、「すみません」と言ってからスーツのジャケットを手に取り走って銭湯に向かった。(着替えは買ったのだろう。戻った頃には新しいスーツになっていた。)

 

 

薫子が走り去った後、窓を全開にして空調はマックス。大きめのファイルでバタバタと社内のフレグランスを外に追いやってエレベーター下で待機していた大勢の社員を迎え入れた。まだ残り香がするものの、耐えられない程ではない。女性社員からは「命が救われた」と言わんばかりのお礼を言われた。

 

30分程で薫子も戻ってきた。その頃にはフレグランスも大幅に抑えられているように感じた。小声で「ありがとうございました。香水はもうしません。」とお礼を述べられた。僕が言いたかった事が伝わってよかった。

 

その後、プレゼンも高評価で薫子は社内でもまた一歩「出来る男」に近づいた。今回の「事件」でプレゼン以外にもいろいろ学んだのだと思う。出来る男のオーラが出てきた。ウソの様な本当の話、3000文字チャレンジでした。