小学生名札不必要問題について
小学生もはや名札必要ないんじゃないか問題。
僕が命名しました。そして問題提起します。
今まで当たり前の様に小学生とは名札。
名札=小学生が頭に刷り込まれているはずです。
そんな常識に僕が一石を投じたいと思った次第でございます。
きっかけは娘とのこんな会話。
僕:おーい、お前名札裏返しになってるぞ!へへーん。
娘:これは裏返しにしないといけないんだもん。
僕:へ、何で?
娘:危ないんだって。だから登校の時だけ裏返すの。
僕:マジ?じゃあ学校着いたら表にするの?面倒くさっ。
娘:誰も表にしてないけどね。
僕:え?じゃあ名札裏返したままで過ごしているの?
娘:そうだよ。先生も注意しないし。
軽く衝撃を受けた。
名札めっちゃ意味ないじゃーーーーん!!
考えたら名札って名前を知らない人が多い場合は役に立つかもしれないけど、小6にもなると名前なんて覚えているだろうし、そもそもいらないんじゃなかろうか。
マジで何の意味があるの?
そこで少し考えてみた。
<名札する事によるデメリット>
・服に穴が開く
・変態おじさんの餌食になるリスク
・忘れると先生に怒られる
・名札係にも変な顔される
・安全ピン危ない
・毎朝名札を探して朝の貴重な時間が無駄になる
<名札する事によるメリット>
・名乗らずに名前を知ってもらえる(不必要)
・先生に覚えてもらえる(覚えられたくない)
・学校生活が楽しうるさーーーい!!
ねーよメリット!名札する事のメリットなんてねーよ!名札止めさせろよ!!
裏返したままの名札で1日中過ごして不都合がないならもう名札する意味ねーだろ!
フーフー・・・いかん、取り乱してしまった。
無駄な事が嫌いな性格が顔を覗かせてしまった。反省。
ここからは落ち着いて。冷静になろう。
もしかしたらあるかもしれない。
名札はどんな時も、いついかなる場合でもしなければならない絶対的な理由があるかもしれない。
例えばバイクに乗ったらヘルメットをしなければならない。
それは事故を起こした際に、ヘルメットを被っていれば死なずにすんだかもしれない人が大勢いたという教訓から法制化した。
だから命を守るためにもヘルメットを被る事は当然だと世間が認知した。
それくら大事な、絶対的な理由が名札にもあったのなら、その時は僕も考え方を変えよう。
よし落ち着いてきた。それではググってみよう。(ググるだけかいっ!)
ふむふむ。
ほーん・・・。
知恵袋でも同じような質問があるんだなー。
みんな考える事は一緒なぬおっ!!
一際異彩を放つWebサイトが現れた。
衝撃的な内容だ。以下一部抜粋。
声をかけるときは、「君」とか「あんた」とかではなく名前を呼んでください。1年生は必ず名札をつけています。名前を呼ばれて親切にしてもらったら、とてもうれしいんです。
名札は全員つけるようになっていますが、昨年度つけていない人が多いのでとても残念に思いました。つけていない人は、名札はどうしてつけるのかが分かっていないのではないかと思うのです。名札はなぜつけるのでしょう?
初めて知らないお友だちに出会います。どうすれば仲良くなれるのでしょうか。それはまず名前を覚えることです。次に名前を呼んでたくさんお話をすること。友だちのよいところを見つけることです。つまり、名札は「ぼくは~です。どうぞよろしく」という意味があるのです。名札にはもう一つ意味があります。それは「責任をもって行動します」という意味なのです。善いことでも悪いことでも、名札によってその行動をした人がだれであるか分かるわけです。
朝来たら、先生や友だちにあいさつをする。整理整頓をする。そして名札を胸にしっかりつける。それから学校生活がスタートするのです。
(『小学校 心のとびらを開く月曜講話』青木靖著/学事出版より)
絶対そんな事誰も思ってないから!!
すんげーキレイごとを惜しげもなく吐き出している。
現実と理想の乖離感が凄まじい。
名札によって責任をもって行動しますって・・・
そんな事考えてる小学生いたら怖ぇよ!
先生も思ってねーよ!
大体名札しなくても名前なんてみんなにバレてるんだからいちいち「俺今日は名札してないからちょっと悪さしてやろう」なんて考えるヤツも間違いなくいない。
名札なんてなくても子供は「名前なんてゆーの?」って聞くし、人に話しかける練習にもなる。
逆に言えばこの人は名札しとけば名乗る必要ないし、名前を聞く必要がないと思っているのだろうか。
この人はなぜこんなに名札至上主義なのか全くもって疑問だ。
しかし、これで物事は明確にハッキリした。
名札は絶対にいらない!!これは譲らない!
100万歩譲っているとしたら小学1年生まで!
日本中の小学生を持つ親御さん!
僕と一緒に立ち上がろう!名札はこの世からなくすべきだと!
反名札委員会的な、名札絶対不必要連合団体的な。
それではまた!