自由意志

日常のささやかな出来事を少しだけ面白く表現したい

10年振りにコンビニ店長時代、弁当配達してたばーちゃんの家に行ってきた

コンビニの店長をしていた時の話だ。

 

足腰が弱くヨタヨタしていたばーちゃんがお店に週1ペースで来て、タバコを1カートン、コーラ3本くらい買いにきていた。
身体が「く」の字になる程腰も曲がって、杖をついていた。いつか転ぶんじゃないかとソワソワしていたが、その様な年配の方がコンビニに来店するのは少なくない。
おそらく一人暮らしなのだろう。息子夫婦と孫に囲まれて余生を慎ましく淑やかに過ごす。そんな生活はドラマや漫画の中の物語かもしれない。現実は買い物するのも辛い程に体力が弱り、誰にも頼れない孤独な世界が待っているだけという事もある。 

 

 

 

上記のばーちゃんとは別の老人(じーちゃん)の話だが、そのじーちゃんには週2,3回くらいで弁当の配達をしていた。
初めて配達した時はショックを受けた。
立派な一軒家の隣の納屋のような小さな家に、そのじーちゃんは住んでいた。立派な一軒家の庭は芝生もキレイに刈られ、子供の遊ぶ声が聞こえる、少なくとも外見上は幸せな家庭のように見えた。しかし、1つフェンスを隔てると、そこにはとんでもない量のゴミ!ゴミ集積所どころではない。ゴミ焼却場に集めたゴミ?かと思うほどのゴミの中にその納屋はあった。まるでこのフェンスは「ここから先は関係ない」と主張、ある意味では線引きしているかの様に思えた。
というのもその立派な一軒家に住む夫婦はそのじーちゃんの息子夫婦だからだ。

【イメージ】

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※実際のじーちゃんの家ではありません。あくまでイメージですが、こんな感じでした。家はもっと小ぶりで倉庫みたいでした。

 

幸せな家庭であろう家族はもう既にこのじーちゃん(親)の事を見離している事はもうパッと見て一目瞭然だった。隣に住んでいるのに、コンビニ店長に食事を運ばせる。
こんな地獄の様な現実がある??


しかし、配達を頼まれている以上は任務遂行するしかない。お金貰ってるし。
溢れるゴミ山もよく見ると玄関までの道は薄っすらと存在した。その細い道のりを辿り、やっと玄関に着いた。ピンポンはない。

 

コンコン

 

コンコン

 

 

返事がない。

 

 

こんにちはーー。

お弁当の配達に上がりましたーー。

 

 

返事なし。

え?死んでる?

老人一人暮らし、ゴミ屋敷、真夏、エアコンなし。

死んでもおかしくない要素が盛りだくさん。

ちょ、ちょっと!じーちゃんよ、まさか!!

と焦ってドンっとガラス戸を開くと!!

 

目の前いっぱい老人の背中!!あんなに大きな声で呼んだのに、目と鼻の先にいた!もう、死ぬ程ビビった!何やら音量0でテレビを観ていた。とりあえず生きていた。あーびっくらこいた。心臓に悪すぎる。ほとんど耳も聞こえてないので、大げさにジェスチャーして弁当二食分を渡した。が、このクソ暑い中では腐ると思って冷蔵庫に入れようと思って、納屋にあげさせてもらった。これまた驚く事に、冷蔵庫がない。

 

え・・・。

 

この蒸し風呂の様な納屋で弁当置いておくと確実に腐るぞ。でもどうしようもない。僕が冷蔵庫を買ってあげる訳にもいかない。この時は夕方頃までには絶対食べてね、と言い残して帰った。心が痛かったが、どうしようもなかった。

 

でも、実際僕がどうこう出来る話ではない。これは身内がどうにかするべきではないか?隣に大きな一軒家で良い暮らしをしているのに、この老人には冷蔵庫1つ与えない。エアコンすらない。これが現実か・・・と憤りを覚えた。

 

それからも弁当の配達を続けていた。すると三ヶ月ほどで、その老人の訃報が入った。担当の民生委員の方がわざわざ教えに来店してくれた。このじーちゃんに弁当の配達をお願いしに来てくれたのも身内の方ではなく、この民生委員の方だった。この方は必死で頭を下げてお願いしにきた。その民生委員の方は色々な弁当屋さんを回ったが、配達してくれたのはウチだけだった、本当に助かった、ありがとうと感謝の言葉を僕に伝えてくれた。

 

この感謝の言葉、本来ならいらないんだと思う。事情はあるんだろうが、本来は身内家族が世話するべきだろう。それを隣のゴミ屋敷へ追いやって食事1つ与えない。金だけ渡して関わらなようにするのは、それはおかしいだろう。
実際その老人が弁当を購入する時は必ず一万円札だった。
もちろん僕の推測にすぎないけども、きちんと家族で世話をしていたらもっと幸せに逝けたんじゃないか、そう思わずにはいられない。

 

 

 

だいぶ話を戻すが、ばーちゃんも孤独だった。ばーちゃんは先ほどのじーちゃんとは違い、定期的に娘が世話をしに来ていたが、なにぶん遠方なので週一程度しか来れず。耳も遠く、毎日テレビを観て過ごすだけだった。

 

そこで、ウチで買い物してくれるなら、近いし重いもの持てないなら配達しようか?と提案すると、喜んでくれた。100mないくらいの距離だったが、お店に来るのが負担だったのだ。


それからはばーちゃんから電話がかかってくると僕が頼みの商品を持って行く事になった。ばーちゃんが買い物するのは、来店して買うよりも電話で注文する時の方が多かった。配達するから気を遣って多めに頼んでいるというより、本当はこれくらい買いたかったけど、重くなると帰りが大変だから抑えていたんだと思う。特にコーラを、買う量は増えた。ファンキーなばーちゃんは体力はないが、タバコとコーラが大好きだった。タバコはやめた方がいいと言いかけたが、ばーちゃんの楽しみを奪うのは良くないと思ったので言うのをやめた。コーラは炭酸が抜けないギリギリまでキャップを開けて渡した。固くて開けられないそうだ。確かにその骨と皮になった腕では開けられないはずだ。

 

週に二回くらいは顔を出した。その度にばーちゃんは心底嬉しそうだった。いつも同じことを話していた。僕もバカだったので

「ばーちゃん、それ何回も聞いたしー」

とか言ってた。ばーちゃんも

「ほうかねほうかね」

とまた同じことを喋ってた。話し相手がいるだけで良さそうだった。

 

話の内容は大体は暗いか後ろ向きだった。
毎朝目が覚めたときに思うことは

「あぁ、今日も生きてた」

だそうだ。もうあとはお迎えが来るのを待つだけだ、と会う度に言ってきた。

「私はもうダメだって医者に言われた」

ってのも何度も聞いた。

 

僕一人が聞き役に回ると暗くなるので、暇な時はバイトを連れてって喋ったりしていた。ばーちゃんは若者が好きだった。若い人は希望に溢れてるらしい。あと、老人が好きじゃないって言ってた。老人ホームに入る事を何度も勧められたけど、

「あんなにたくさん老人がいたらこっちまで暗くなる」

って言って頑なに拒否している様子だった。
そうこうしているうちに、僕に異動の辞令が出たので、配達は後任に任せた。

 

それから10年程が経過。本当にたまたま偶然が重なって近くに寄る機会が出来たのでばーちゃん家に行ってみた。もう亡くなっている可能性も十分に考えられた。そう思うと行くのやめようかと思ったが、後悔したくないので勇気を出してピンポンを押した。
耳が遠かったので、何度かピンポンしたけど誰も出なかった。大きな声で「ばーちゃんいるー?」と呼んだが、出てこなかった。病院に行ってるのか?しばらく待ったけど最後まで顔を出す事はなかった。電力量計は回っていたので生きていると確認出来た事は良かった。

 

 

家に帰ってからもしばらくボーっと考えていた。ばーちゃんは幸せだったんだろうか。(まだ死んだと決まったわけではないけど、どうしても頭に浮かんでしまう)
もうちょっと身内の人は寄り添ってあげる事は出来ないのだろうか。
と凄く無責任な事を考える。
じゃあ自分はどうだろうか?僕の親はまだ両方とも元気だが、1年に1度も会わない。この先どうなるか分からないけど、僕が実家に帰るペースはこの先も2,3年に1度くらいだと思う。
なんだ。結局自分も同じ穴のムジナって事か。それが現実。

 

そういえば、ばーちゃんからお別れの際に手紙をもらったのを思い出したので、引っ張り出して読んでみた。ばーちゃんに悪いからアップするの迷ったけど、自分の気持ちを整理したいから、載せた。すまんばーちゃん。

 

【手紙】

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栄転おめでとうございます。
突然のお話でショックを受け、一寸取り乱してしまい御免なさいね。
泣いては悪けないと思い、必死でした。いつかは別れの時が来ると思っては居りましたが此の様に早いとは思ってもいませんでした。
短い間でしたが、一介の老人を優しく心を持って接して頂き失礼な事ですが、自分の孫の様な倖せな時を送らせて頂き私は倖せでした。心から御礼を申し上げます。
貴男が何処に行かれても健康と立派に成られる事を祈ってます。ばあちゃんは忘れません。
当地に御見えになった時は元気なお顔を見せて頂けたら嬉しく思います。
温良な気持ちでお祝いをしてあげる事も出来なかった事、お詫び致します。
心で出世を㐂こんで居るのに音〇(?)に体度に出す事が出来なかった私の失礼を許して下さいね。
正直、もう声も聞けない、お顔もと。自由意志ちゃん、ばあちゃんは寂しいです。立派な店長さんを自由意志ちゃんと呼ばせて頂き、ありがとうございました。
さようならは云いません。何時か又ね。

 

ばあちゃんより。

 

<裏>

良い思いを心に秘めれば

 

人として いい想いとして残る

 

ばーちゃんはあの短い間でも幸せだと思ってくれたのだろうか。
答えは出ないけど、また近くに行った時は寄ってみよう。